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    福島県国見町のバイク買取業者の情報が登録されていません。

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    阿津賀志防塁
    阿津賀志防塁 2008/8/30(土) 午前 10:39 阿津賀志山防塁(あつかしやまぼうるい)は、福島県国見町にある平安時代末期の防塁跡で、二重の堀と三重の土塁で形成されていることから「阿津賀志山二重堀」ともいわれる国指定の史跡です。 1189年の阿津賀志山の戦いの際に、阿津賀志 ...

    阿津賀志防塁
    阿津賀志山防塁(あつかしやまぼうるい)は、福島県国見町にある平安時代末期の防塁跡で、二重の堀と三重の土塁で形成されていることから「阿津賀志山二重堀」ともいわれる国指定の史跡です。 1189年の阿津賀志山の戦いの際に、阿津賀志山一帯に立て籠もる奥州藤原氏(大将・藤原国衡)の防御施設として使用されました。 阿津賀志山中腹から旧阿武隈川(現・滝川)まで約3.2キロメートルの距離であったと推定され、源頼朝の軍勢が奥州へ攻め入ることを想定して事前に奥州藤原氏が築いていたと言われています。ここはその防塁の一番低い部分で、阿武隈川の近くです。一番高いところは、写真の奥の山です。 800年以上前の防塁がまだこのように残っているのは珍しく、当時これだけの巨大な防塁を築造するには多くの労働力を費やしたものと思われます。いかに奥州藤原氏が栄えていたという証みたいなものでしょうか。 結果的には鎌倉・源頼朝軍が背後から攻め、藤原軍は敗退し、その後功績のあった常陸国の中村入道念西(伊達家初代・伊達朝宗)がこの地を所領し、14代稙宗まで360年間伊達家が住むようになりま

    国指定史跡・阿津賀志山防塁
    昨日、福島県国見町の阿津賀志山山頂にいってみた。 あいにくの天気で、眺望は一瞬しか見られなかったが、歴史の大転換となる戦い の場を俯瞰し、記念碑等をみて、往時に思いを巡らせてきた。 国指定史跡・阿津賀志山防塁とは、800年前の頼朝軍と平泉藤原群の主戦場の 遺跡である。 ここは文治5年(1189)の奥州合戦における、最大の激戦場となったところであり、 奥州平泉・藤原秦衛が、源頼朝の率いる 鎌倉軍を迎撃するために防塁を築いた もので、阿津賀志山の山腹より全長3.2kmも続く大防塁跡です。 源頼朝は義経を蝶略で藤原泰衡に打たせ、次は奥州平泉の地を手に入れるべく、 勅命も得ず、鎌倉軍総力で今度は義経をかくまったとして討伐の全面戦争を仕掛 けたのです。 これを迎え撃つべく、平泉藤原軍が築いた防御陣地が、阿津賀志山防塁であり、2 つの空堀と3重の土塁で形成されているもので、山の中腹から阿武隈川までの約3. 2キロにわたって築かれた大防塁は、6カ月間、延べ25万人で作ったといわれて いる壮大なものです。 頼朝軍は圧倒的な人力で、この防塁

    三陸海岸縦断と鶴岡・盛岡・福島〓
    釜石湾・鎌崎の先端に建つ「釜石大観音」に立ち寄り、観音内部の展望台よりリアス式海岸を眺望しました。 引き続き国道45号線を南下し、大船渡(おおふなと)市・陸前高田市を経て、宮城県気仙沼市に入りました。 桃生(ものう)津山インタ−より三陸道に入り、石巻市・松島町・塩釜市・多賀城市の順に進めていきます。 仙台若林ジャンクションより仙台南部道路に入り、続いて仙台南ジャンクションより東北道に入りました。 菅生(すごう)パ−キングエリアにて夕食をとりました。さらに南下を続け、車は福島県国見町に入りました。 福島飯坂インタ−にて東北道を下り、21:30本日宿泊の「ホテル福島ヒルズ」に到着しました。 ☆本日(5日)の走行距離:490Km 画像1枚目:釜石大観音・・・・内部は13層に分かれ、本尊の魚藍観音や三十三観音などが祀られています。 画像2枚目:インドスリランカ様式の仏舎利塔・・・・お釈迦様のご遺骨を祀った塔です。(釜石大観音に隣接) 画像3枚目:リアス式海岸を望む(大船渡市にて)・・・・夕刻になり、ようやく海岸の美しい景色が姿を現しま

    義経の腰掛松
    源義経が鞍馬山を出奔し、奥州平泉の藤原秀衡を頼って東下りする際に、この地(福島県国見町石母田)でひと休みしたと言われています。 その際、敷物がなかったので、路傍の若松を折り曲げて腰をおろしたのがこの「腰掛松」のようです。 江戸時代には奥州街道の名所となり、多くの人が立ち寄ったと言われています。 かつては枝張りは30mにも及んだとのことですが、1821年に修験者が蜂の巣をとり払おうとして誤って焼き枯らしてしまったという言い伝えです。 翌々年に信夫郡上名倉村に同じような笠松があるということで、一大プロジェクトチームを結成し、荒川を下り、阿武隈川を下り、この地にこの二代目笠松を運び植えたそうです。 現在の松はその2代目で樹齢二百余年で、町の天然記念物に指定されています。 近年、松くい虫の被害をうけ、三本の太幹のうち二本が枯れてしまい、一本だけが辛うじて残っているという状態です。 近くに義経神社という小社があり、焼き残りの初代腰掛松の根幹が囲われ、保存されています。


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